ワークショップ ファシリテーター谷垣友里 Yuri TANIGAKI
1974年京都府園部(現南丹市)生まれ、山口県宇部市育ち。両親が営む呉服屋で幼いころから絵画を見るように着物を眺めて過ごす。ふるさとの原風景は海辺の工場地帯から煙の上がる夕焼けの風景。1997年兵庫教育大学(学校教育専修コース)卒、1999年帝塚山学院大学(文学部美学美術史学科)卒。学生時代 (1997〜1999年)に「キッズプラザ大阪」オープニングスタッフ(アルバイト)で「創作工房」で初めて「ワークショップファシリテーター」という職業を経験。2001年4月に兵庫県篠山市へ。里山に囲まれた農村エリアで廃校になった旧多紀中学校の木造校舎の再生計画に携わり、地域住民・卒業生と共に 運営する子どものための博物館「篠山チルドレンズミュージアム」のオープニングスタッフとして移住。「自然と科学」「食と農」「仕事と職業」をテーマにした丹波篠山ならではの体験プログラムを企画。ワークショップ・ファシリテーターを経て、2003年〜2008年まで事業ディレクターを務める。当時、第三世代のミュージアムと言われた市民参画型の博物館として、地域の人と一緒に地域資源を活かした展示物の開発・制作を行ったことが現在の仕事の基礎となった。 2009年〜2010年一般社団法人ノオト在職期間中、地域活性化のための空き家活用・古民家再生事業に関わる。専門分野(地域調整・改修工事・開業者誘 致・資金調達など)を活かし各種団体が連携して古民家を再生するプロジェクト方式で計9軒の古民家再生に携わった。
主な担当事業:ツーリズム事業/古民家活用事業/地域連携事業
リサーチャー/ディレクター片平深雪 Miyuki KATAHIRA
1976年北海道札幌市生まれ。父方は1870(明治3)年に仙台(伊達)より入植、母方は1930(昭和5)年に茨城(農家)/埼玉(炭焼き専門職人)から入植した北海道開拓子孫。両親は夕張や赤平など炭鉱町生まれ。本人は生まれも育ちも札幌市郊外の工業地帯-2車線の国道とロードサイドに並び立つ大型チェーン店、高速道路のJCT、JRの貨物ターミナル、広がる新興住宅街が「心象風景」。高専に通っていた乱読時代、大きな影響を受けた人のひとりが河合隼雄氏(篠山市出身)。1996年札幌市立高等専門学校卒(インダストリアルデザイン・コース)、2000年千葉大学大学院修了(デザイン科学専攻)。修士(学術)。修士論文テーマは「『美術館』の外で行われるアート活動の持つ問題点と可能性について〜『パブリックアート』を出発点に『アートプロジェクト』も視野に入れて」。広島県の山間に位置するダムに沈む集落で行われたプロジェクト、南芦屋浜の震災復興団地でのプロジェクト等を取材し執筆。それが縁で関西に就職。10年以上前から丹波篠山エリアでの仕事を始める。株式会社生活環境文化研究所/文化農場を経て、2007年〜財団法人兵庫丹波の森協会/丹波の森研究所/研究員、2009年〜2011年一般社団法人ノオト(レンタサイクル事業:丹波篠山えこりんプロジェクト担当)、2010年〜大阪大学コミュニケーションデザインセンター/特任研究員。地域づくり計画サポート/ツーリズム企画開発/地域資源の発掘などが専門。
主な担当事業:調査・研究事業/ツーリズム事業/編集・出版事業
ツーリズム コーディネーター月江潮 Ushio TSUKIE
1970年東京豊島区雑司が谷という下町に生まれる。海洋生物学者の父の仕事の関係で、アメリカ、フランスを含め引越し続きの日々。気がつけば小学校を転校すること6回。移動の多い人生で、一つの場所に7年以上暮らしたことがない。平成19年に兵庫県多可郡の農村に古民家を買い、土地を耕し、地域に根を張る生活を目指しつつも、なぜか旅好きのアンテナが動いて東へ50kmの篠山へ車を飛ばす日々。行きがかりの仕事、行きがかりのささやまな日々。安住の地を求めつつも、流転の人生を求めずにいられない?!育ち盛りの2児と1匹の母。
平成2年慶應義塾大学総合政策学部卒業後、一般企業に就職。平成11年兵庫県立淡路景観園芸学校専門課程終了。兵庫県認定景観園芸士。夫と営む造園コンサル、ガーデンデザイナー業の傍ら、2007年一般社団法人NOTEの集落丸山担当として企画・運営に携わる。田舎に伝わる暮らしの知恵、里山資源の活用などをテーマにワークショップやツアーを企画実施。
主な担当事業:ツーリズム事業/古民家活用事業/地域連携事業